整える
2023.05.30 18:21|未分類|
人との会話がしんどい、接する事を避ける、自分がわからない、いろんなことから目を背る
そうなっている自分に何度か気づいた時もあるけど向き合えない
長い事放置したここに記する事は間違いなのかも知れないと思ったりもしたけれど、何とかしなければとも思える

昨年の春頃からnao に差出人名のない手紙が届き続けています 住所もありません
これまでの経緯の中で、ポストを開けるのは孫ママでたまに私
nao はポストにある郵便物に触らない事にしています
気付いたのが昨年の春、訳も無くパニックを繰り返していた事を今思えば、
それより以前から届いていたのかも知れません
「手紙来てるよ」とnao に手渡した1週間後、同一筆跡と思われる封書がまた届きました
差出人名を確認しましたが書かれていない
立て続けということや、状況的に軽視できず開封
見せればパニックになるだろう事は明らかな文面、伏せました
幸い郵便物は仕事先から帰宅後の時間帯に届くので、以後は必ず私が確認しています
帰宅後すぐにポストを開ける、何度も確認、そんな毎日です
手渡した手紙にはなんて書かれていたのかと気掛かりです
naoに向けての言葉は「お宅の娘」と私にも向き、
最近はノートに走り書きしたものがポストに入っている事が多くなりました
家にまで来ていると言う事になり、一人の女の子が思い浮かびましたが憶測です
人と話す事が好きで、どんどん突き進み友達になろうとする事でトラブルになる
作業所に行けなくなったのは施設管理者の暴言もありますが、
この突き進む事が要因でもあります
外に出掛けるのは買い物か受診に行く時くらいで、私が一緒
人との接点が皆無に等しいnao に手紙にある様な事はできません
私は小さな物音にも怖さを感じてしまう様になり、仕事に行く時辺りを見渡し車に乗ります
nao を連れての買い物も人と目線が合わない様に気を付けます
毎日が息苦しくて重くてしんどい
そんな日を過ごしてしまいましたが、nao が教えてくれた大切な事
『nao ちゃん、俺ら友達んちに遊びに行くけど5時には帰るから、心配しなくていいからね』
6年生の孫が弟と出かける時に声を掛けてくれたと嬉しそうに教えてくれました
この子達、nao を理解し、しようとしてくれている
平素関与してくださっている方に相談してみようと思えたきっかけです
先ずは届けた方が良いと言う事になりはしましたが
「誰なのか探す事は容易ではないし突き詰めてどうなさいますか? 障害があると考えて、何か危害を加える事も無いと思われます 静観が得策では?」
イヤ 怖いのです!
寝息を怖いと思った事ありますか? 小さな音でもビクッとしてしまいます
蝶の動きを怖いと思った事は? 視界に入る些細な動きにも敏感
後手後手の対応も要因のひとつになりそうな理解できない昨今の出来事
そこに自分を置いてしまい恐怖心が増す事もあります
笑う自分が嫌い 平静を装う自分が嫌い 何もできない自分が嫌い
進む方向を定められない自分が嫌い 知識の無さが嫌い 思考力無し 行動力無し
怖いからとただただ逃げ口上でしかないのでしょうか?
許容範囲が広い訳ではない事を、どうすれば、どう話せば理解してもらえるんだろ
そして
そうなっている自分に何度か気づいた時もあるけど向き合えない
長い事放置したここに記する事は間違いなのかも知れないと思ったりもしたけれど、何とかしなければとも思える

昨年の春頃からnao に差出人名のない手紙が届き続けています 住所もありません
これまでの経緯の中で、ポストを開けるのは孫ママでたまに私
nao はポストにある郵便物に触らない事にしています
気付いたのが昨年の春、訳も無くパニックを繰り返していた事を今思えば、
それより以前から届いていたのかも知れません
「手紙来てるよ」とnao に手渡した1週間後、同一筆跡と思われる封書がまた届きました
差出人名を確認しましたが書かれていない
立て続けということや、状況的に軽視できず開封
見せればパニックになるだろう事は明らかな文面、伏せました
幸い郵便物は仕事先から帰宅後の時間帯に届くので、以後は必ず私が確認しています
帰宅後すぐにポストを開ける、何度も確認、そんな毎日です
手渡した手紙にはなんて書かれていたのかと気掛かりです
naoに向けての言葉は「お宅の娘」と私にも向き、
最近はノートに走り書きしたものがポストに入っている事が多くなりました
家にまで来ていると言う事になり、一人の女の子が思い浮かびましたが憶測です
人と話す事が好きで、どんどん突き進み友達になろうとする事でトラブルになる
作業所に行けなくなったのは施設管理者の暴言もありますが、
この突き進む事が要因でもあります
外に出掛けるのは買い物か受診に行く時くらいで、私が一緒
人との接点が皆無に等しいnao に手紙にある様な事はできません
私は小さな物音にも怖さを感じてしまう様になり、仕事に行く時辺りを見渡し車に乗ります
nao を連れての買い物も人と目線が合わない様に気を付けます
毎日が息苦しくて重くてしんどい
そんな日を過ごしてしまいましたが、nao が教えてくれた大切な事
『nao ちゃん、俺ら友達んちに遊びに行くけど5時には帰るから、心配しなくていいからね』
6年生の孫が弟と出かける時に声を掛けてくれたと嬉しそうに教えてくれました
この子達、nao を理解し、しようとしてくれている
平素関与してくださっている方に相談してみようと思えたきっかけです
先ずは届けた方が良いと言う事になりはしましたが
「誰なのか探す事は容易ではないし突き詰めてどうなさいますか? 障害があると考えて、何か危害を加える事も無いと思われます 静観が得策では?」
イヤ 怖いのです!
寝息を怖いと思った事ありますか? 小さな音でもビクッとしてしまいます
蝶の動きを怖いと思った事は? 視界に入る些細な動きにも敏感
後手後手の対応も要因のひとつになりそうな理解できない昨今の出来事
そこに自分を置いてしまい恐怖心が増す事もあります
笑う自分が嫌い 平静を装う自分が嫌い 何もできない自分が嫌い
進む方向を定められない自分が嫌い 知識の無さが嫌い 思考力無し 行動力無し
怖いからとただただ逃げ口上でしかないのでしょうか?
許容範囲が広い訳ではない事を、どうすれば、どう話せば理解してもらえるんだろ
そして
その瞬間に戻りたいと思う日があります
7月24日
救急要請して病院に向かう途中に心肺停止
心臓マッサージ(AEDを使用しないよう指示?)を受けながら、起きている事が理解できないまま病院着
真っ直ぐ私に歩み寄って来た医師に、延命措置は望まない意向を伝えていた事を問われ「はい」と答えた
そう答えた事で心マの手が止まり、救急隊の方がおっちゃんから離れ頭を下げられました
病院に着いて数分の事だったと思います 私の短いひと言が、
おっちゃんの逝く時を決めてしまったと感じました
他に答えがあったかも知れないと言う思いが今もあります
自車で後を追っていた息子が来るまで、状況をのみ込もうとおっちゃんの顔を触っていました
その時にこめかみが脈打っている事に気付き、聞いている様な顔のおっちゃんに話しかけ続けた日
12月14日 昭和
意識薄れていく中で懸命に産声を聞こうとしたけれど、聞こえない
場に居る人達の慌ただしい足音に違和感を感じながら、気が付けば3日の日が過ぎていました
私自身も危険な状態だったと言われ、子の事を聞くと仮死状態で生まれ保育器に入っていると説明を受けました
以後呼吸停止を繰り返し「ご主人に連絡を」と何度も言われ、乗り越えたとしてもなんらかの障害が残る事は覚悟してほしいとも
状況は違うけれど、生まれて数時間後に亡くなった長男の事が甦える
新生児室の奥の方にある保育器 見えない抱けない
この子は助かる事を望んでいるのか?
障害を持って生きていけるのか?
そんなふうに思ってしまいました
どのような障害なのか、成長していく中でしかわからないと言う不安
保育器を脱し、初めてこの手に抱いた時にスッとその気持ちが変わりましたが、
この頃の私は「親」でも「人」でもなく、向き合う自信もありませんでした
乗り越えてほしいと願い、名前に生きると入れ直生としました
nao、してほしかった事沢山あるよね 今も
そして気持ちをわかってもらいたいと思っているよね
どう動き何をしてあげればよかったんだろ? これからどう動けばいいんだろ?
naoが保育器の中で頑張っていた時に持った気持ちを改めて、そこから始められたらと思う
福祉も医療もサポート体制が整ってきた今、それでも時に合わせた課題は多く、
私の中では空回りですがいろんな方面で試行錯誤され研究もされていますね
この一年間は普段に増していろんな方に心配、
迷惑をお掛けしてしまいました
恥じてばかり、反省ばかりではなくて、
物事から目を外らさずに 向き合わなくては
今更ですが
7月24日
救急要請して病院に向かう途中に心肺停止
心臓マッサージ(AEDを使用しないよう指示?)を受けながら、起きている事が理解できないまま病院着
真っ直ぐ私に歩み寄って来た医師に、延命措置は望まない意向を伝えていた事を問われ「はい」と答えた
そう答えた事で心マの手が止まり、救急隊の方がおっちゃんから離れ頭を下げられました
病院に着いて数分の事だったと思います 私の短いひと言が、
おっちゃんの逝く時を決めてしまったと感じました
他に答えがあったかも知れないと言う思いが今もあります
自車で後を追っていた息子が来るまで、状況をのみ込もうとおっちゃんの顔を触っていました
その時にこめかみが脈打っている事に気付き、聞いている様な顔のおっちゃんに話しかけ続けた日
12月14日 昭和
意識薄れていく中で懸命に産声を聞こうとしたけれど、聞こえない
場に居る人達の慌ただしい足音に違和感を感じながら、気が付けば3日の日が過ぎていました
私自身も危険な状態だったと言われ、子の事を聞くと仮死状態で生まれ保育器に入っていると説明を受けました
以後呼吸停止を繰り返し「ご主人に連絡を」と何度も言われ、乗り越えたとしてもなんらかの障害が残る事は覚悟してほしいとも
状況は違うけれど、生まれて数時間後に亡くなった長男の事が甦える
新生児室の奥の方にある保育器 見えない抱けない
この子は助かる事を望んでいるのか?
障害を持って生きていけるのか?
そんなふうに思ってしまいました
どのような障害なのか、成長していく中でしかわからないと言う不安
保育器を脱し、初めてこの手に抱いた時にスッとその気持ちが変わりましたが、
この頃の私は「親」でも「人」でもなく、向き合う自信もありませんでした
乗り越えてほしいと願い、名前に生きると入れ直生としました
nao、してほしかった事沢山あるよね 今も
そして気持ちをわかってもらいたいと思っているよね
どう動き何をしてあげればよかったんだろ? これからどう動けばいいんだろ?
naoが保育器の中で頑張っていた時に持った気持ちを改めて、そこから始められたらと思う
福祉も医療もサポート体制が整ってきた今、それでも時に合わせた課題は多く、
私の中では空回りですがいろんな方面で試行錯誤され研究もされていますね
この一年間は普段に増していろんな方に心配、
迷惑をお掛けしてしまいました
恥じてばかり、反省ばかりではなくて、
物事から目を外らさずに 向き合わなくては
今更ですが